ワイン好きな象と猫

フランス生活の忘備録

アサリのアヒージョ風

順番が変わるがアルルのレビューの話の続きを書きたいと思う。

 

今回通訳としてレビューのお手伝いをすることになったPさんとF君親子は普段鹿児島で写真館を営んでいる。今回レビューを受ける作品はPさんが撮った写真をF君が編集したものだ。昔新聞社のカメラマンだったという口下手な職人気質のPさんと、そんなPさんに歯切れ良い言葉でダメだしする芸術家肌のF君は、普段私たちが親子制作と聞くと子が父の弟子であるような関係を想像してしまうが、そんなイメージとは異なるお互いを補完しあうような素敵な関係だと思った。

 

今回私が通訳する事になったのは偶然だった。もともとフランス在住6年という日本人の方に通訳を頼む予定だったが、その人が都合が悪く来ることが出来なくなり、急遽私が代打することになったのだ。ただ私の英語力はそんな流暢に日本語を訳せるというレベルではないため、本当に私でよいのかという思いがあった。大学では英語で発表することはある。しかしそれは事前に原稿を作成し、発表練習を何度も繰り返し頭に英文を刷り込んでからいつもやっていたので、私が本当にレビューの通訳が出来るのか心配だった。しかもレビューは時間が20分と限られている。私が通訳に手間取ればそれだけPさんとF君の伝える時間、レビュアーの方が話す時間が減ることになるのだ。また欲深い私は、出来るだけ二人の話のニュアンスを伝えたかった。緊張はなかったが、力んではいた。

 

そして、私は事前に言い訳を作っていた。「私はレビュー中に伝えたい内容を考えて話すまで頭が回らないと思います。二人が話したことをそのまま伝えることに注力します」と今思えばもっと出来たのではないかと反省している。

 

最初のレビューはアメリカ人の綺麗な人だった。とても愛嬌のある優しそうな人だった。最初はおとうさんのPさんが中心になって説明した。訳していて思ったが、説明が単調であまり面白くないのではないか、メインで伝えたいことは別の事ではなかったかと頭によぎったが訳に集中する。おそらく同じことを考えていたであろう同席していた友人の写真家Sさんが私に「もっと○○の話をした方がいい」(事前の打ち合わせで○○の話をしようと決めていた)と私に伝えてきた。

 

私はというと「私に言わず、説明を話すPさんに言ってください」と言ってしまったのだ。今思うとSさんにそんな返事を返すのなら私がすぐ横にいるPさんに言えば早いのだが、通訳で一杯いっぱいだったのだ。人間そういうときこそ本性が出るものである。今思い出してもあんな反応をしてしまって恥ずかしい(笑)

 

訳していて思うのだが、相手の話を聞いてるときはその言葉を脳内で訳すことは出来るのだが、日本語に訳して話す段になると先ほど訳していた内容の枝葉末節の部分は頭から抜け落ち「つまりこういうこと」的な自分自身が相手の話を理解するために頭に残した主要な部分しかPさんに伝えることしか出来なかった。レビュワーの方の言葉をそのまま正確に訳出来れば良かったのだが、それが全くできなかった。

 

そのあとPさんに代わりF君が説明をした。気が付くと席を立ちあがって説明していた。レビュー時間の20分はアッという間に過ぎていた。

 

成果としてはレビュワーの方からポジティブな感想とアドバイスをいただき、今後継続して作品をメールで送らせてもらう事を承諾してもらえた。表面的にはうまく行ったようだが、すれば全て社交辞令にも思えた。レビューが初めての私はそこで判断は出来なかったが、そのあとのカフェでの反省会のみんなの反応を見て、やはり芳しい結果ではなかったことを察した。

 

レビューで話す時に必要なことは研究の口頭発表と同じである。伝えたいことを簡潔に論理の一貫性をもって話すこと、今回のテーマと関係ないことは話さない事(それが個人的に思い入れのあるものであったとしても)などである。しかし私自身インドネシアの湿地で研究しているので、屋久島の山奥に言って写真を撮ってきたというPさんが関係ない話をしてしまうことに私はとても共感したのだった。

 

翌日もレビューを受けたが結果はなかなか芳しくなかった。レビュワーの方の話の区切りが長く、ペースが早いので昨日以上に要約的な通訳しか出来なくなっていた。力不足を感じた。二日目のレビュワーの方とはPさんが偶然にも電車で会ったことがあるらしくその時の作品を見せ説明を簡単にしたらしい。しかし今回はそれが裏目に出たようだった。前回と重複する説明に途中飽きているように見えたのだった。

 

 

大人ポリタン

リヨンではフレンチのレストランの皿洗いをしていた。

一緒に働くのはスーシェフがアルゼンチン人であるのを除きみんなフランス人だった。

働き辛いと思いきや、とても気持ちよく楽しく働けた。

 

私が働いたレストランでは、まず着くと賄をみんなで食べることから始まる。「Bon soir」と言いながら入ると「Bon soir, ça va?」と誰かが言ってくれる。私はよく「ça va bien」と言って席に着き賄を食べる。スーシェフは陽気な人で賄を食べた後はお決まりの2週間おき毎ぐらいに変わる歌を口ずさみながらその日の予約分のアミューズを準備する。サービスの女性は賄を食べた後、席に座って恭しく煙草を一本手で巻き、外で吸う。サービス長はTシャツ短パン姿からしわのないシャツとジャケット姿へと雑談しながら着替える。シェフはというと大概外で空気を吸うかスマホを見ている。私は白シャツに着替えエプロンを着けると水を一杯飲み乾し、たまった洗い物を消化し始める。みんな何かしらのルーティーンのようなものを持っている。

 

サービスの人は基本陽気だ。下げたお皿を洗い場に渡す時、「〇〇~」と私の名前を呼んだり、ウインクをしたり、時には猫の声真似をする。暇なときはフレンチジョークを教えてくれる(大概理解できないので英語で解説してもらうが)皿を洗うだけで「Merci」と言ってくれる。お客さんの前で笑顔は基本だが、彼らは裏側に来ても基本変わらない。むしろ表より明るい気がする。

 

私は料理人の無駄のない動きを見るのが好きだ。皿を洗いながらよく見入っていた。時々ソースを味見させてくれたり、つまみ食いさせてくれた。忙しい時にピリピリはするが決して理不尽なことで怒るようなことはなかった。というより「こうした方がいい」というアドバイスはあっても、働いた一か月と少しの間、怒られたことはなかったと思う。

 

皿洗いの僕はサービスやキッチンの補助役的なことをしたり、時間があればキッチンの一角の掃除をする。私としてはお給料を頂いてるし、頼まれたことは当然のこととして行うのだが、終わったり、物を渡したりそれだけで「Merci」と言ってくれた。丁寧に掃除をすると「トレビアン」と言ってくれた。少しこそばゆい気持ちになったりした。

 

メインを出し終えるとシェフがノートに何やら書き込んだ後先に帰る。帰るときは必ず全員の所にいき握手をする。お互いに「à demain」や「Bon weekend」と言う。デザートを出し終えたスーシェフも同様に、ただスーシェフは肩をたたいてからの握手が多かった。日本でやるとセクハラになるのかどうか知らないが、握手したり肩をぽんってたたかれるのが私は好きだった。仕事が一段落したようなそんな安心感があった。

 

それから片付けを終えると片付けと明日のテーブルセットをするサービス長の二人だけに良くなった。最初は忙しい金曜と土曜、いつのまにか毎日仕事終わりに一杯飲ませてもらうようになった。

 

 

私はいつも白ワインをオーダーした。サービス長は勉強のためにいつも違うワインを飲ませてくれた。サンセール、クローズドエルミタージュ、サンジョセフ、ブルゴーニュ、ピュイフュメ、サンペレイ、ピュイフュイッセなど同じ産地で生産者違いなど二種類飲み比べさせてくれる日もあった

 

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私はそれが嬉しくて、少しでも勉強になったことを伝えたいのもあって、いつもワインの感想とこのワインにはメニューのこれが合うだろうかという事をサービス長に聞いたりしていた。ワインについて勉強する機会をくれていた。

 

私が働いた所がたまたまそうだったのか分からないが、人として敬意を払ってくれるそんな職場だったと思う。一番印象的だったのは相手がミス(私の作業に差し障る、もしくは作業を増やす)した時に「ごめん、私のミスだ」と言ってくれたことだ。私が一番下っ端なのでそんなこと言わなくてもよい気がしたのだが、でも自分のミスをちゃんと認めて謝る職場の人達に私はますます敬意を持つようになった。


この職場で働く最後の日、「リヨンに戻って来たら食べに来なよ。ただし、料金は2倍だけどね笑」とシェフ。一番仲の良かったスーシェフは「頼んだ事は全部きっちり、綺麗にやってくれた、中々誰にでも出来ることではない、ありがとう」と


書いてて気恥ずかしいが、社交辞令でもいい、最後にこう言ってもらえた事が嬉しかった。

 

日本では今、働き方改革ワークライフバランス、育休制度、などという言葉をよく聞く。もちろんシステム的な改革は必要だと思うが、フランス人の?その職場の?そういった人として敬意をもってお互いに接する事が働きやすさの基本ではないかと思う。

 

私もいつか日本で集団の中で仕事をすることがあるだろう。

その時に相手がだれにせよ「ありがとう」と「ごめん」が言えるそんな人になりたいと思った。

 

ケフタとメロンのアイス

夜のカフェテラス」といえばゴッホの有名な絵を思い浮かべる人が多いだろう。

私もそのゴッホの有名な絵が好きな一人である。その絵のモデルとなったカフェはアルルという南仏の小さな町にある。

 

去年の卒業旅行でヨーロッパを訪れた時に、アルルを訪れた。3月にも関わらず南仏らしい暖かい気候が印象的だった。ただ、お目当てのカフェテラスはオフシーズンで開いていなかった。カフェテラスを見れなかったことは残念だが、しばらく行くことはないだろうと思っていた。

 

しかし1年と4カ月経たぬうちに、私は夜のカフェテラスを見る機会を得ることになったのだ。

 

 

リヨンで知り合った写真家の人がアルル国際写真祭で日仏チームのギャラリーに出展するという事で私も見学とお手伝いに行ったのだ。オリーブ農園に宿泊できるという素敵なオマケまでついていた。

 

私の仕事はギャラリーの掃除とギャラリーに併設しているレストランのお手伝い(その代わり賄をいただける)とひょんなことで鹿児島から来た写真家の人のレビュー(詳しくは後述)の通訳の手伝いをした。

 

今回の写真祭に参加して思ったのは学会発表とどこか似ているという事だった。学会の場合はポスター発表と口頭発表の二つの形式がある。写真祭のギャラリー展示がポスター発表、口頭発表がレビューと似ていると感じた。

 

ギャラリーがオープンし、お客さんがどんどん入ってくる。写真家の方達が自分の作品について説明している姿がとても輝いていた。自分の作品を見てくれる、興味を持ってくれることの嬉しさは少し自分も分かるような気がした。

 

また写真祭の場合はそこに写真の販売というお金も関わってくる。またギャラリストや写真に関わるいろんな人と今後の関係を築くという、ただ単に発表の場ではないそういう勝負の場でもあると感じた。(学会にもそういう面はある)

 

私の友人の写真家の人はギャラリー展示の中のスライドショーの制作を担当していた。ギャラリーの代表者がそれを確認すると画質が悪いとか、なんとかで作り直すように言っていた。それまでの温厚そうな顔とは違う顔だった。正直私には問題など全くないように見えていた。

 

大学に入り、ゼミでの発表スライドやアルバイトでサービスをするようになって知ったのは普段何気なく自分が見ていたもの、受けているサービスが実はとても練られ、時間がかけられているという事だ。ここにもそれを感じた。

 

写真展や美術館にたまに行くが、そこに展示されている物に対して当然のようにそこにあるものだと思っていた。しかし、作品がそこに展示されるまでの制作への努力、苦労、作品の売り込み、その他まだ私が知らない多くの苦労を経てそこにあるものだという事を考えさせられた。友人の作品が展示されていることも、写真祭に来るまで深く考えていなかったが、ギャラリーに来たお客さんに説明する姿を見るにつけ、大変な事だったんだなと思った。

 

 

また今回は前で書いたレビューの通訳の仕事をさせてもらった。興味深かったのは事前に作品に込められた思いや作品の出来た経緯を作家の人とじっくり話したことだった。普段写真を見る時にそこまで作品の込めたメッセージなどを考えていなかったが、一つの作品についてじっくりと作家の人から話を聞けたことは貴重なことであったと思う。

 

その話の中で最近は自己のバイアスを除いた写真が出てきているという話を聞いた。私にとって写真とはむしろ自分のフィルターを通して見えている世界を表現するものだと思っていた(素人観)。また作家のフィルターを通して撮られた、自分自身では気付かない普段の生活の一部を切り取ったような写真が好きなので、そのような潮流に一種の拒否感のようなものを感じてしまった。

 

ともあれ、そのようなことを意識して写真を見たことのなかった私はそのような自己のバイアスを排除したと思われる作品を自分が今まで見たのかどうかさえ分からなかった。ちゃんと見てもいないうちに食わず嫌いは良くない、そのような作品を見て自分がどのように感じるのか興味があった。

 

そのあと写真祭を見て回ったが、バイアスがある作品とない作品がどれがどれか分からなかったことはこのブログ以外では秘密にしておこう(笑)

 

ともあれ物の見方をいくつも得ることが出来た、そんな写真祭だった。

 

アルルにいる間に夜の"夜のカフェテラス”を見たいと思っていたが、そうこうしているうちにまた見逃してしまった。これはきっとまた「またアルルに来い」っていう事なんだと思う。

たぶんまた蝉が鳴くころに気付けばアルルに来ていそうである。

 

 

 

 

 

 

 

生ハムメロンと白ワイン

ロワール地方のとある村のホテルで、併設のレストラン、ビストロ、バーでのサービスの仕事に就くことが出来た。契約書を交わす、念願のフルタイムの仕事である。

 

決まってとても嬉しいと思いきや、いやもちろん嬉しいのだが、すらすらと話が進み、決まってしまったことに対する驚きというか、きょとんとしてしまった。

 

フランスへはサービスの仕事をしたくて来た、フランス語は全然話せないものの何とか見つかるだろうという、いつもの楽観主義を発揮して簡単に考えていた。でも現実は上手くはいかなかった。

 

リヨンで生活をし始めて、二週間と少しが経った頃から仕事を探し始めた。日々日本で貯めた貯金が減る一方であることが不安で、外食にも行けなかった。その状況を変えたかったのが大きかった。そこでずっと働くというかフルタイムのサービスの仕事が見つかるまで生活費の一部を稼ごうと思ったのだ。語学が不十分であることを自覚していたのでレストランでのサービスは無理だと考え、語学が不安でも働けると聞いたバー、カフェを中心に探した。事前に調べて雰囲気の良さそうなワインバーから回った。

 

最初に履歴書を持って行ったのはベルクール広場近くのワインバーであった。緊張してお店の前を二回ほど素通りし、遠くからお店を見つめる。ひるむ自分自身を日本語で勇気づけ夜の営業前でリラックスしている定員さんに話しかけた。

店員さんは最初お客だと思い、笑顔で話しかけてくれる。しかし思いがけず私の口からお店で働きたいという事を聞き、驚いたのだろうか、呆れたのだろうか。顔が一瞬曇る。相手の表情にひるんだが、片言のフランス語で日本でのサービスの経験と仕事への意欲を伝えた。定員さんは申し訳なさそうにそして諭すように

 

「もううちにはソムリエがいるからごめんね」と言った。

 

私は「D'accord, Merci 」としか言えなかった。独り言で自分を慰め、次のお店にいく、次はジャズバーに行った。またお客だと思われる。相手が英語で話しかけてきたので、そのまま英語で働きたい意思を伝える。相手が親日家だったこともあり、話が少し弾んだ。しかし「フランス語が出来ないとサービスはできない」と言われた。ただ忙しいときに呼ぶかもしれないという事になり、とりあえずオーナーに見せるからという事で履歴書を渡す。後日連絡をするからということで、嬉しくなった。

 

その日はビールを買い、プチ贅沢をした。ダメにせよ、いいにせよ連絡が来ると思っていた。それだけで何か一旦成し遂げたような気がした。

 

しかし1週間が経っても連絡はなかった。おそらくこれからも連絡はないことは何となく察した。それからというもの実際にお店に履歴書をもって回る事20軒ほど、求人サイトからメールを出すこと30軒ほど。反応はほとんどなく、直接渡したCVはもはやオーナーに渡してもらえたのかどうか分からない。運よく履歴書を受け取ってくれてもそのあと連絡がないことに慣れていった。求人サイト経由で送ったメールにはお祈りメールが一件、面接の日程の話まで行ったのは二件でうち一件は面談までいったものの語学力不足で断られ、もう一件は途中でメールの返信が来なくなった。求人があるにも関わらず、返事がないことに少し落ち込んだ。しかしこれがフランス語の出来ない者への当然の結果だったのだと思う。

 

結局リヨンでは最終的に、表に「皿洗い、調理補助募集」と書かれた日本食店の調理場として働く事になった。とりあえずお金がもらえることは嬉しかったが、元々サービスとして働きたかった事を思い出し、楽に流されたようで、甘んじているようで恥ずかしかった。

 

求人サイト経由でメールするなどと並行して働いた。その後、系列店の和のテイストを取りいれたフレンチのお店で皿洗いとして働く事になった。これに対してはまた別の機会に書きたいと思う。フレンチであること、フランス人ばかりの職場で少し嬉しかった。

 

と、リヨンでのことを思い出しきょとんとしていたのだ

 

私が働く事が出来たのには実はカラクリがある。村に在住の日本人の方に紹介してもらったのだ。私が日本で働いていたお店のソムリエの方が知り合いのワインのインポーターに頼んでくれ、インポーターの方にその方を紹介してもらったのだ。もし仮に今回雇ってくれるホテルに私が直接履歴書を持って行ったなら結果は違ったのかもしれない。人の紹介とは本当に有難いものである。

 

今回仕事を得れたことは私の実力ではないが、強いて言うならばいろんな方を紹介もらい、その方たちと知り合えたという縁が大きかったのではないかと思う。

 

まだ仕事を得れただけで、本番はこれからである。フランスに来た目的であるサービスの向上、ワインの知識、経験を増やすこと、フランス語の上達などやるべきことはたくさんある。今回の幸運は最後まで上手くいってこそのものである。また紹介してくれた人の顔に泥を塗るような事は絶対にしてはいけない。改めて、ここからが始まりである。

 

そしていつか、自分と同じような人の力になりたいと思う。

自分自身が繋げてもらった縁をまた誰かの縁に繋げたい。

生牡蠣と白ワイン


マルセイユの話の続き


マルセイユといえばブイヤベースであり、ブイヤベースといばマルセイユである」


などと意気込み、食べ物への執着心の強い私は美味しいブイヤベースが食べれるお店を調べた。


しかし、地元の人にとって身近であると思っていたそれは、ちゃんとしたものを食べるには50ユーロは出さねばならぬという事を知り早々に諦めた。「いつか社会人になってからにとっておこう 」と


だからと言って、適当にランチする私ではない。次なるターゲットとして生牡蠣に狙いを定めた。


生牡蠣と白ワインの組み合わせはフランスで一度は挑戦したいと思っていたのだ。


初めて産地を意識して買ったワインがシャブリのワインである


その時にシャブリワインを調べているときに見たのが、生牡蠣とシャブリワインという組み合わせだった


生牡蠣と白ワイン、特にキンメリジャンと呼ばれる、牡蠣などの貝殻の化石を含む石灰質の土壌のシャブリのワインとの組み合わせは有名だ。


生の牡蠣とワインの中にミネラル分として含まれた牡蠣の化石が口の中で出会う


「これこそマリアージュではないか!!」

と一人熱くなったのを覚えている。




事前に調べていた魚屋さんがやっているというお店にいく。無難にセットメニューで10.9€の物とフライドポテト、テーブルワインのハーフボトルを注文した。


クレカを失くしたので、シャブリワインは頼まなかった(上で熱く書いたにも関わらず)


いつか牡蠣の季節である冬にリベンジしようと思う。一人ではなく、その時はシャブリワインと牡蠣のマリアージュを誰かと共有しよう。


などとテーブルワインを頼んだ事を正当化しつつ待つ事10分弱


氷に乗った生の牡蠣とムール貝、茹でた巻貝とエビが来た。


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いざ見てみると

「初夏に生牡蠣って大丈夫なん?」

って不安になって来たし、

そもそも生の貝類そんなに好きじゃなかったんだよなぁ  と思い出した。


とは言っても、やはり「ついに!」という期待感もあって、

気持ち消毒効果を期待して、レモンを多めに絞り食べてみた。


えっ、臭くない!

美味しいというよりも安心感が先だった。


レモンを絞った瞬間牡蠣が驚いたように少し縮む。牡蠣の殻の中の塩水でレモンの酸が薄まり、たくさん絞ったにも関わらず、口をすぼめてしまうような酸っぱさは無かった。


そしてワインを口に入れる。少し冷やし方が足りないか、でもその分果実味が増し、牡蠣とレモンだけでは足りない甘みを足しとても美味しい。


個人的には少しオリーブオイルを垂らしても美味しそうだと思った。

多分夏だからか牡蠣の濃厚さが冬よりも薄く、オリーブオイルがそれを補ってくれるのではと思った。

今度試してみよう


次に初めての生ムール貝に挑戦した。少しムール貝独特の香りを感じたが、嫌に感じなかった。これも美味しい。


そして、一番警戒していた巻貝を食べてみた。これも臭みはない!いくらでも食べられるやつである。テレビを見ながら、お酒を飲みながら食べている画が浮かぶ。


生牡蠣、生ムール貝は家では怖いが

これなら茹でてるし自分で食べられそうである。今度スーパーで買ってみようと思った(スーパーのものは臭いかもしれないが)


来た時は盛りだくさんだと思ったが一瞬で食べてしまった。


少し足りなかったが、ここもクレカを失くした事を思い出し我慢。


私の場合、このような時は節約したぶん、なんだか得した気分になるのだ。テーブルワインに続きクレカを失くしたお陰で30€くらいの節約に成功したのだと


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昨晩寝てないせいか、ハーフボトルで少し酔いが回ってしまった。お店を出て港近くの要塞近くに向かう。要塞近くの海辺は岩場があって海パン姿の地元っこらしき人が飛び込んだり、泳いだりしていた。


湾内でもなかなか綺麗なマルセイユはこういう楽しみもあるのだと知り、嬉しくなった。



ブイヤベースに加え、また一つ今度マルセイユに来た時に挑戦したいものが増えたのだった








カサゴ



日曜日の朝のカフェ、

体格の良くどこか武骨なムッシュが多い気がした。


あのムッシュ達は平日は漁に出ているのだろうか。そんな事を考えながら駅から港までの道を歩いた


写真祭のあるアルルに行く途中、マルセイユによった。


マルセイユはフランス最大の港町だ。港町で生まれた私はマルセイユにどこか懐かしさを感じた


埋め立てたであろう平地と、うんざりするような坂道、港の先に広がる海が景色に開放感を与える。


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港に着くと小さな露天の魚屋さんがいくつもあった。


旅行中、私はその土地の魚屋さんを見るのが好きだ。その土地で食べられる魚とその土地で自然に取れる魚をいっぺんに見る事が出来る気がする。


カサゴや伊勢エビなど岩場で取れると思われる魚が多かった。


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雑魚コーナーだろうか、小さいがとても安い魚が漁師町さを感じさせる


カサゴを見て、父とカサゴ釣りに行った事を思い出した。


一年に一度か二度父と釣りに行った。カサゴは小さくても美味しく食べられる。良い出汁が出る、味噌汁で食べるのが好きだ。


あるカサゴを釣りに行った日。

全く面白いほど何も釣れなくて、気落ちした私と父は、慰めに帰り道スーパーに寄った。父はビールを、私はお菓子を買おうとしていたと思う。そんな時父が


「この鯛ば買って、おいたちが釣ったことにしよう」


立派な鯛だと怪しいので、私と父でも釣れそうだと一瞬思わせるような連子鯛を買いクーラーボックスへと入れた。


多分、私がイタズラ好きなのは父譲りだと思う。


帰り道、母にどうやってそれらしい話をするか車内で話しながら帰った。

さっきまでの気落ちした気持ちは無くなっていた。


気分というのは自分では変えれないものだと思ってしまう。


でも少しの遊び心で気分は変えられる。そういう時もあるんだ



などと考えながら



到着早々クレジットカードを失くし

落ちた気分をなんとか変えようとしたのだった。






トマトとシェーブルチーズのミルフィーユ

はじめてブログを書きながら思う、まさか自分がブログを書く日が来ようとはと


フランスに来てもう2ヶ月半、なぜこのタイミングでブログを書こうと思ったのか


きっかけというのは不思議なものである。今日フランスで知り合った友人のブログをみて、自分も友人の様に日常で感じたこと、考えた事を文字に起こして残したいと思ったのだ。書いてみるとよくある理由である。実際、ブログを書く友人は今までにも何人かいたし、ブログを自分も書いてみたいという気持ちは何度かあった。


でも行動に移さなかった以前とは違い、実際こうしてブログを書いているのは、自分が今フランスにいる事、その他のタイミングが合ったからなんだと思う。


今までSNSでは無駄な自意識が邪魔をして、あまり自分の考えや気持ちを出さないようにしていた。


でも、ここではむしろ今まで書いてこなかった、我慢していた自分の書きたい事を書いていこうと思う。


自分らしく気楽に

これはフランス滞在の忘備録である