ワイン好きな象と猫

フランス生活の忘備録

ケフタとメロンのアイス

夜のカフェテラス」といえばゴッホの有名な絵を思い浮かべる人が多いだろう。

私もそのゴッホの有名な絵が好きな一人である。その絵のモデルとなったカフェはアルルという南仏の小さな町にある。

 

去年の卒業旅行でヨーロッパを訪れた時に、アルルを訪れた。3月にも関わらず南仏らしい暖かい気候が印象的だった。ただ、お目当てのカフェテラスはオフシーズンで開いていなかった。カフェテラスを見れなかったことは残念だが、しばらく行くことはないだろうと思っていた。

 

しかし1年と4カ月経たぬうちに、私は夜のカフェテラスを見る機会を得ることになったのだ。

 

 

リヨンで知り合った写真家の人がアルル国際写真祭で日仏チームのギャラリーに出展するという事で私も見学とお手伝いに行ったのだ。オリーブ農園に宿泊できるという素敵なオマケまでついていた。

 

私の仕事はギャラリーの掃除とギャラリーに併設しているレストランのお手伝い(その代わり賄をいただける)とひょんなことで鹿児島から来た写真家の人のレビュー(詳しくは後述)の通訳の手伝いをした。

 

今回の写真祭に参加して思ったのは学会発表とどこか似ているという事だった。学会の場合はポスター発表と口頭発表の二つの形式がある。写真祭のギャラリー展示がポスター発表、口頭発表がレビューと似ていると感じた。

 

ギャラリーがオープンし、お客さんがどんどん入ってくる。写真家の方達が自分の作品について説明している姿がとても輝いていた。自分の作品を見てくれる、興味を持ってくれることの嬉しさは少し自分も分かるような気がした。

 

また写真祭の場合はそこに写真の販売というお金も関わってくる。またギャラリストや写真に関わるいろんな人と今後の関係を築くという、ただ単に発表の場ではないそういう勝負の場でもあると感じた。(学会にもそういう面はある)

 

私の友人の写真家の人はギャラリー展示の中のスライドショーの制作を担当していた。ギャラリーの代表者がそれを確認すると画質が悪いとか、なんとかで作り直すように言っていた。それまでの温厚そうな顔とは違う顔だった。正直私には問題など全くないように見えていた。

 

大学に入り、ゼミでの発表スライドやアルバイトでサービスをするようになって知ったのは普段何気なく自分が見ていたもの、受けているサービスが実はとても練られ、時間がかけられているという事だ。ここにもそれを感じた。

 

写真展や美術館にたまに行くが、そこに展示されている物に対して当然のようにそこにあるものだと思っていた。しかし、作品がそこに展示されるまでの制作への努力、苦労、作品の売り込み、その他まだ私が知らない多くの苦労を経てそこにあるものだという事を考えさせられた。友人の作品が展示されていることも、写真祭に来るまで深く考えていなかったが、ギャラリーに来たお客さんに説明する姿を見るにつけ、大変な事だったんだなと思った。

 

 

また今回は前で書いたレビューの通訳の仕事をさせてもらった。興味深かったのは事前に作品に込められた思いや作品の出来た経緯を作家の人とじっくり話したことだった。普段写真を見る時にそこまで作品の込めたメッセージなどを考えていなかったが、一つの作品についてじっくりと作家の人から話を聞けたことは貴重なことであったと思う。

 

その話の中で最近は自己のバイアスを除いた写真が出てきているという話を聞いた。私にとって写真とはむしろ自分のフィルターを通して見えている世界を表現するものだと思っていた(素人観)。また作家のフィルターを通して撮られた、自分自身では気付かない普段の生活の一部を切り取ったような写真が好きなので、そのような潮流に一種の拒否感のようなものを感じてしまった。

 

ともあれ、そのようなことを意識して写真を見たことのなかった私はそのような自己のバイアスを排除したと思われる作品を自分が今まで見たのかどうかさえ分からなかった。ちゃんと見てもいないうちに食わず嫌いは良くない、そのような作品を見て自分がどのように感じるのか興味があった。

 

そのあと写真祭を見て回ったが、バイアスがある作品とない作品がどれがどれか分からなかったことはこのブログ以外では秘密にしておこう(笑)

 

ともあれ物の見方をいくつも得ることが出来た、そんな写真祭だった。

 

アルルにいる間に夜の"夜のカフェテラス”を見たいと思っていたが、そうこうしているうちにまた見逃してしまった。これはきっとまた「またアルルに来い」っていう事なんだと思う。

たぶんまた蝉が鳴くころに気付けばアルルに来ていそうである。