ワイン好きな象と猫

フランス生活の忘備録

ステーキとパスタ

フランスでは銀行口座を開くのが日本の用にお手軽ではない。


外国人留学生の日本での口座開設をお手伝いしたこともあるから、公平な視点でみてそう思う。


まずは銀行に口座開設のための予約を取らなければいけない。そこから住所の証明となる書類(大家さんのサインなど)を貰う。私の場合は職場のパトロンにサインをもらわなければいけなかった。


そしていざ当日、予約を取った時間に行き手続きを進めるが、様々な書類にサインをする。(10枚くらいサインしたような)


私の場合は手続きに1時間くらいかかっただろうか。なぜならネットがなかなか繋がらず何度もやり直ししなければならなかったからだ。


そして手続きはまだそれでは終わらない。登録した住所に暗証番号などが書かれた書類が一週間〜二週間ほどで届く。それをもって再び銀行に行きようやくクレジットカードと口座開設が出来る。


フランスに住む外国人にとっては一苦労である。


今回書いたのは日本に帰国するにあたり口座を閉める手続きをしたからだ。開設の時のように予約を取り、私の場合は事前に必要な書類がないか不安だったため前日に銀行に行き、特に必要な物がないというのを確認するほど、不備がないように準備した。


そして迎えた当日。予約時間に遅れて万が一手続きをしてくれなかったら困るので10分前に着く万全の態勢だったが、それはあっさりと覆された。


受付の人に予約の旨を伝えると「担当者が今日はいないんだよね、だから伝言を預かってるよ、『メールで書類を送るからそれにサインして送ってください』とのことです。だから今日手続きすることはありません」


呆れて怒りも感じず、苦笑いだった


突っ込みどころはたくさんある。

何のための予約か?

村からはるばる足を運んだ手間は?

事前に連絡しろやー

その他etc


でもなんだか、こういうのになれた自分がいる。これこそフランスなのだ。


適当、仕事しない、遅い.......etc

(パリは汚い、臭い)


日本の世間的には華やかなイメージかもしれないが、「いや違うぞ!」と声を大にして言いたい。


でも不思議な事に、怒りはなく

「また〜?(´Д` )」という感じで、



こういう適当で仕事しないフランスに慣れた自分に一種の面白さを感じたのだった。

ステーキとパスタ

フランスでは銀行口座を開くのが日本の用にお手軽ではない。


外国人留学生の日本での口座開設をお手伝いしたこともあるから、公平な視点でみてそう思う。


まずは銀行に口座開設のための予約を取らなければいけない。そこから住所の証明となる書類(大家さんのサインなど)を貰う。私の場合は職場のパトロンにサインをもらわなければいけなかった。


そしていざ当日、予約を取った時間に行き手続きを進めるが、様々な書類にサインをする。(10枚くらいサインしたような)


私の場合は手続きに1時間くらいかかっただろうか。なぜならネットがなかなか繋がらず何度もやり直ししなければならなかったからだ。


そして手続きはまだそれでは終わらない。登録した住所に暗証番号などが書かれた書類が一週間〜二週間ほどで届く。それをもって再び銀行に行きようやくクレジットカードと口座開設が出来る。


フランスに住む外国人にとっては一苦労である。


今回書いたのは日本に帰国するにあたり口座を閉める手続きをしたからだ。開設の時のように予約を取り、私の場合は事前に必要な書類がないか不安だったため前日に銀行に行き、特に必要な物がないというのを確認するほど、不備がないように準備した。


そして迎えた当日。予約時間に遅れて万が一手続きをしてくれなかったら困るので10分前に着く万全の態勢だったが、それはあっさりと覆された。


受付の人に予約の旨を伝えると「担当者が今日はいないんだよね、だから伝言を預かってるよ、『メールで書類を送るからそれにサインして送ってください』とのことです。だから今日手続きすることはありません」


呆れて怒りも感じず、苦笑いだった


突っ込みどころはたくさんある。

何のための予約か?

村からはるばる足を運んだ手間は?

事前に連絡しろやー

その他etc


でもなんだか、こういうのになれた自分がいる。これこそフランスなのだ。


適当、仕事しない、遅い.......etc

(パリは汚い、臭い)


日本の世間的には華やかなイメージかもしれないが、「いや違うぞ!」と声を大にして言いたい。


でも不思議な事に、怒りはなく

「また〜?(´Д` )」という感じで、



こういう適当で仕事しないフランスに慣れた自分に一種の面白さを感じたのだった。

ボンゴレビアンコ

一ヶ月前に遡るが

両親が年末年始にヨーロッパに来てくれ、一緒にローマ、グラナダ、マラガを旅行した。


イタリアは父が死ぬまでに行きたかった場所で、グラナダは母が死ぬまでに行きたいと言っていた場所で、今回はその二ヶ所を中心に旅程を立てた。


事の発端はある日、母と電話していた時に私の声色に元気がなかったらしく、それを心配した母が「あんた、大丈夫ね?」と言ってきた事だった(実際は元気)


元気だと言う私に対して、それでも訝しむ母が「様子を見にそっちに行こうかね」と言い、「いいやん、飛行機とか諸々とるよー」と私が答え、そこからトントン拍子で話が進んだ。大晦日で勤務を終え、元日から両親と旅行する事になった


両親が「ヨーロッパに行くのはこれが最後かもね」としみったれた事を言うので、最高の旅行にしようと、色々と調べた。ちょっとした親孝行が出来るようで、調べることが楽しかったし、嬉しかった。


晦日の仕事納めの後、部屋の片づけをして、パリ行きの始発の電車に乗るために、最寄り駅である7キロ先の駅まで重いバックパックを背負って歩いた。


歩き始めたのは深夜四時ごろ、街灯もほとんどない道をバックパックを背負って歩く姿は、きっと不審者に見えた事だろう。

麻婆豆腐

ボルドーメドック地区、グラーヴ地区、サンテミリオン地区を訪問した。


今回の初めてボルドーを訪問した。ボルドーではほとんどワイン関係の事ばかりで、それ以外の観光など大聖堂を回る程度でほとんどそっちのけだった。


シャトー•ラフィット•ロートシルト

シャトー•オーブリオン

クロ•フルテ

等3つの生産者を訪問する事が出来た。その他にもバスや徒歩の移動中に名前だけ知っているだけで、飲んだことのないシャトーを多く見ることが出来た。


本当にあるのかどうかその存在すら、自分の実感にはないようなワイン達を見て、そのシャトー、畑を見て、自分の中で「本当にあるんだ!」という実感を得ることが出来た。


言ってしまえば、今回の旅行は巷で言う所の聖地巡礼である。


やはり実際に産地を訪れると、そのワインへの愛着や親近感が増す。


私の場合は今まで雲の上の存在で、自分などは生涯お目にかかれないような存在だと思っていた、シャトーラフィットに禁断の?愛着と親近感を感じたように思う。


しかし、一生のうちに何本ラフィットを買えるのやらという感じである笑


ワインという恐ろしい趣味に片足を突っ込んでしまったことを改めて実感する旅行であった笑

ケバブとフリット

だいぶ投稿の間隔が空いてしまった。どこから書こうか、書きたい事があれもこれもとあってまとまらない。


手始めにまずは今日、今書きたいと思った事を書こうと思う。


今パリにいる。バイヨンヌへ行く夜行バスをかれこれ三時間程待っている。あと1時間半待たねばならない。


駅の構内で無料のWifiと電源を貪りなんとか耐えていた。


駅の構内は風通りがよく、寒いまでないが暖まりもしない。どんどん体が寒くなっていった。


こういう時は貧乏旅行の味方であるケバブでも食べて暖まろうと、Bercy駅近くのケバブ屋を探し、向かった。


フリットケバブで5.5€。フリットはもちろん山盛りだ。


店員のおじさんの接客がやけに気持ちが良かった。といっても注文をとって、ケバブを渡してくれて、会計をしてくれただけである。何か気の利いた事をしてくれた訳ではない。


それは気遣いというものではないし、おもてなしでもない。たぶん一対一の人としての敬意だと思う。


このケバブ屋さんのおじさんに限らず、フランスに来て、日本にはない気持ち良さを感じる時がある。(正確には日本よりそう感じる頻度が多いら)


日本の接客の方が丁寧だし、接客態度に関して従業員への教育も日本の方が力が入ってるような印象があるにも関わらずだ。


多くの人がおそらく考えているように、日本の丁寧な接客は相手を〝お客様〟として敬意を払っていると私は思う。それに対しフランスやその他の国は〝人〟として敬意を払っていると思う。敬意の丁度からいけば日本の接客が顧客に対して払う敬意の方が大きいと思う。


しかし日本の接客のその敬意は意識させられたものであって、うちから自発的に生じたものではない場合が多いのではないかと思う。要は接客の丁寧さは作り物である事が多いのではないかと思う。


それに比べて、フランスやその他の国ははたとえ敬意の程度は高くなくともそれが内からあるもので、その敬意の払い方は自然で違和感がないのだ。それは文化に寄るところが大きいのではないかと思う。


フランスの一般的なサービスは顧客を〝お客様〟などとは思っていない事が多いのではないかと思う。彼らの敬意は日本で言うところの近所のおじさん、おばさん、お姉さん、お兄さんへの敬意くらいな感じではないかと思う(一流レストラン、ホテル除く)。日本のようにサービスを受ける、提供するという立場の違いからではなくて、自分が近所の人から挨拶し、挨拶されるような対等な敬意だと思う。


私はフランスの文化でお客もサービスもお互いに「Monsieur ,Madame 」と呼び合うのが好きだ。


サービスを受ける側も、される側もMonsieur でありMadame なのだ。


最近「おもてなし」という言葉をよく聞く。日本独特の他にはない素晴らしい接客姿勢のように話されている事が多いと思う。


確かに一部にはそうであるのかもしれないが、日本にあまり多くない「一個人として向けられる敬意」による接客もまた良いものであり、おもてなしばかりを語るのでなく、そういう日本にない感覚もこれから語っていくような社会がいいのではないかと思う。

タルト オ シトロン

フランスとは全く関係のない話だが
日本最古の学生寮である吉田寮の強制退去についてのニュースを最近よく目にし、やはりこれからどうなるのか一在校生として気になっている。

国内外を問わず友達に大学を案内してくれと言われたときにだいたい吉田寮を案内する。お化け屋敷のようなその外観で中に入れば独特の生活臭を感じ(つまり汚い)非日常に迷い込んだ気持ちになる。

浪人生の時、家賃などただの寝るためにそんなにお金は出したくないと常々考えていた私は、月およそ3000円の寮費と在学中にしか味わえない経験として私も吉田寮熊野寮に住みたいと思っていた。オープンキャンパスでその両寮を訪れて私は一瞬にして悟った。「ここには住めない」と汚いというのはもちろん、ここに住んでしまうとまともな学生生活が送れないというそんな雰囲気があった。(実際そうである人もいるし、そうでない人もいる)自分は住めないが存在自体はちょっと誇らしく感じていた。

吉田寮の思い出を少し書きたいと思う。吉田寮へ友人を案内していた時に庭で「シャリ、シャリ」という音がするので行ってみると、ドラム缶の上にヤギの首、そしてその横に立つ二人の学生はぶら下げたヤギの胴体から皮を剥いでる最中であった。ショッキングな映像であったことが伝わるであろうか。にっこり挨拶をしてその場を立ち去った。

吉田寮には他にも食用の?動物たちがたくさんいる。エミュー、うさぎ、にわとり、ヤギ等私が知らない動物たちもおそらくいるだろう。

 

私の好きな小説家の森見登美彦の小説に出てくる下鴨幽水荘はおそらく設定の場所こそ違えどその内観、雰囲気は吉田寮をイメージして作られたものだろう。

 

そんな吉田寮がいよいよなくなるかもしれない。大学と学生の小競り合いは今までもあったが一種の行事のようなもののようで、在学生も冷たい目で見ていた。しかし今回の大学はどうやら本気のようである。いったい吉田寮はどうなるのやら。

 

私としてはなくなるのは寂しい気持ちがするというのが正直なところである。
フランスで歴史ある建築物を見るにつけ、地震の多さや、建築の違いなど状況は違うが、歴史ある建築物を後世に残していってほしいと思う。

 

追記:下書きを書き始めて投稿するまでおよそ一カ月半が経ってしまったが、吉田寮は現  在も問題を抱えてはいるが存続しているようである。

深夜のステーキ


いつも扉を開けるとそこにいたツバメはもう飛び立ってしまっていた。

 

昼と夜の営業の前、レストラン内のセラーの在庫を確認し職場の道路を挟んで向かいの地下セラーにワインを取りに行く。扉を開けた瞬間ワインセラーの湿気が全身を舐めるように体にあたる。入口から直ぐ下へと続く階段を降りるのだが、ちょうど階段を降りようとする時ちょうど目の前にツバメの巣があった。昼間は空の巣だが夜の営業前にセラーに行くと巣に帰ってきたツバメ親子4匹と目があった。階段には彼らの糞がびっしりとこびりついていた。

 

 

ツバメたちにしてみればいきなり目の前の扉があき、電気をつけられ、そこには自分の体よりも遥に大きい生物がいるのだ。びっくりさせたに違いない。しかし私にとっては営業中のある種の緊張感から一瞬解放させてくれる存在であった。

 

この一週間で一気に寒くなった。雨の日、曇りの日が続き、それまで太陽によって温められていた大地は蓄えた熱をすっかり失った。朝方になれば気温は10度を下回っている。石造りの家は日が昇ってもなかなか温まらず、太陽が出ている間は外に出た方が暖かいほどである。秋を通り越し、これから来る冬へと私の心を向かわせた。九月の半ばを過ぎると暖炉を焚くというこの地域では、これでも例年に比べればはるかに暖かいらしい。

 

9月も終わり、フランスに来てもう5月以上も経ってしまった。気が付けば帰国予定の来年2月への折り返し地点を過ぎていた。最近漫然と過ごしすぎているような気がする。一日一日をもっと大事にしよう。

 

この記事の下書きを書き始めてから投稿するまで二週間近く経ってしまった。
一旦終わったと思った夏はまた少し息を吹き返して、もう少しだけテラスで過ごしたいと思う時間をくれている。フランスでの残り短いこの季節をしっかり噛みしめたい。