ワイン好きな象と猫

フランス生活の忘備録

メルゲーズとムール貝

久々の更新だ

およそ一カ月間も更新していなかった。仕事が始まり、慣れるので一か月があっという間に過ぎたように思われる。更新する時間がなかったわけではないし、そんなに切羽詰まっていたというわけでもないのだが、やはりこうやって更新しようという気になったのは少し余裕が出来てきたからかもしれない(とはいってもまだまだであるが)

 

高校一年生の入学してすぐの頃に読んだ、某T大学に合格した先輩の合格体験記を思い出した。ある文化系の部活に所属していた先輩は合格に向けてずっと勉強していたわけではないと書いてあった。部活の発表や文化祭があるときはそちらへ集中し、テストが近づくとそちらへ集中し、高校三年生の9月の文化祭の後から本格的な受験勉強を始めた事などが書かれていた。

 

その先輩の書いていた言葉で印象に残っていることがある。

「継続は断続的にでもいい」という事だ。簡単に言えば三日坊主になったとしてもそれを繰り返せばいいという事だ。何かをするときに肩の力が抜けるこの言葉がなんだか好きだ。その考えは実際に今の私の生活に根付いている(大げさに言えば)。だから一か月更新してなかったとしても、またここで断続的にでも続けれているので良いのだと自己肯定しておく。

 

 

この一か月で気付いたこと、考えたことを書くには時間が足りない。それらを忘れないように今回は今思い出せるだけ箇条書きで簡単にかいておこうと思う。

 

お仕事編

①フランス語は聞き取りが特に難しい

②お客さんがフレンドリー、レストランでの食事を楽しむのが上手

 つたないフランス語でも可愛がってくれる。正しい発音を教えてくれたりする。

③普通にレストランに犬を連れてくる。そして犬達はとてもおりこうさん

④赤ちゃんも普通にレストランに一緒に連れてくる。

⑤ 3、4に対してレストラン側も対応に慣れているし、周りのお客さんも慣れてい   

 る。そういう所がとても好き

⑥仕事場で人間関係がサバサバしている。上下関係があまりない。

⑦サービスとキッチンの仲がよい(日本で働いていたホテルと対照的)

パトロンが偉そうぶってない、従業員もパトロンに変に気を使いすぎていない

⑨レストランでワインが消費される量がやっぱり日本とけた違い

アペリティフを飲みながらオーダーを決める

⑪チップとは言わないPour boire(飲み代)というのがフランスっぽい

 こっそりとる人もいるが基本はみんなで共有する。

 遅くまで滞在した人、アブノーマルなリクエストをした人はチップを期待されています(笑)

⑫自分達のレストランの料理を提供できる能力の限界を知ったうえでお店を回す。

⑬フランス料理に砂糖は使わない、だからこそ食後のデザートで補充

⑭日本のサービスの良い点とフランスのサービスの良い点をそれぞれ身に付けたい。

⑮休みはきっちり、料理人も休める。

⑯生産地だからかレストランのワインも安い。

 

 

 

生活編

①フランス人はテラスが大好き。薄暗い冬があるからこそ夏の太陽を大事にしている。

②生活を楽しむのが上手。食前酒を楽しむアペロ、ろうそくなどの照明など。

 フランスの生活の楽しみ方知り、より生活を楽しみたい。

③車や家電などへのこだわりが薄い、使えればよい的な。日本みたいな家電量販店は見 

 たことがない。(私がないだけで実際にはあるのかもしれないが)

ムール貝の酒蒸し、メロンがマイブーム

⑤多くの場合キッチンが可愛い

⑥アフリカ、西アジアの食文化が結構ポピュラー

⑦田舎のお祭りの飲み物代がとてもやすい

⑧最寄りのスーパーまで3キロ以上の田舎(本当に食料品を買えるところがない)

 でも景色と星空は最高

⑨石造りの家は夏の暑さでも結構快適。冬はその分一度冷えると温めるのが大変だとか

⑩日本では普段会わないワインの生産者が普通に町を歩いている不思議。(ワイン産地なので当たり前だが)

⑪小さい村なのでお客さんどこかで見たことあるなと思ったら、他のお店の定員さんだったり。

⑫鳥と蜂が多い。農薬をあまり使わないワイン産地ならでは?

⑬ヴィンテージワインはエチケットがぼろぼろ、たまにスーパーでもぼろぼろ。

 でもなんだか年季を感じて好き。あらためてヴィンテージワインの楽しみ方が素敵だ 

 と思った。

 

 

もっとあったような気がするが思い出せない。

思い出したらその都度書き足したいと思う。

 

豚のリエット

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フランスのスーパーで青果物は基本量り売りだ。小さいものも、大きいものも色付き具合も様々だ。


それらはキロ当たり同じ値段で計算され、一個単位から買う事が出来る。誰かに手料理を振る舞う時にちょっと付け合わせ用にといって、スナックエンドウを一本単位で買う事は出来るし、枝付きのトマトを自分が欲しい数のトマト分になるようにその枝をちぎる事なんてのも出来る。


前はニンニクが3分の1程ちぎられたりしたものも見かけた。(そして私はその残りを買った)


日本の様に形、色が揃った物で包装されてたりしない。一人暮らしには食べきれる小さいサイズが良い時もあれば、大きいサイズが欲しいともある。この買い方では無駄が少ないのだ。


おそらく日本では規格外野菜として売り物にならない、もしくは安く叩かれるであろう野菜たちがそれぞれそういった需要を満たしてくれる。「なんだかフランス包容力あるじゃないか」って思いながら野菜をビニール袋に入れた。


駐車場に向かうとこんな車があった。


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もしかすると青果物への包容力?はこういう所にも関係しているのかもしれない。


ともあれ、そんなフランスが大好きだなと思った今日だった。

ケバブ

レビューの続き

 

写真の説明をより練る必要があった。その点は研究発表と異なった。研究はデータから言えることを論理的に説明すればよい。つまり言語化が容易である。しかし写真は、写真に対して自分の思いと感覚を言葉にしないといけないのである。数段言語化が難しい。おそらく自問自答の様なプロセスが必要であると考えられる。(素人観)


カフェでの反省会では色んな事が話された。反省会といってもビールを飲みながらの和やかなものだったが

 

私の最後の仕事はPさんが誤って帰国日に予約したレビューのキャンセル及び、可能であれば別日程への変更であった。私もPさんもレビューの日程の変更に関しては全く期待していなかった。ダメでもともとというやつである。受付の女性の方に聞く、するとなんと日程を変更できることになった。さすがストライキ国鉄のダイヤが頻繁に変更する国である。そのへんの対応は慣れているのだろうか。

 

二つのレビューをキャンセルし、空いているレビュワーの中から最適な人を二人探した。一人目はスイスの方(スイスは山岳信仰があり、日本との共通の自然観をもっているのだとかだったと思う)、二人目は水に関する美術館の企画者とかなんとかでこれもPさんの作品に共通点があるということでフランスの方にした。

 

受付に行き変更を伝えるとなんと二人目のフランスの方はフランス語しか話せないという事で断念。急遽第三希望のパリの写真展に関わっているレビュワーの方に変更した。そしてこれが二日後の喜びの舞へとつながる。

 

私はその翌日リヨンへと帰らなければいけないため、これが最後となった。ほとんど役に立たなかったにも関わらずPさんから謝金を頂いた。私はクレカを失くしていたので嬉しい反面(ここでもまたこの話題)、その謝金に見合う働きが出来ていないと感じ、申し訳なかった。

 

私がアルルを去った日は写真家であるCさんが通訳をしてくれらしい。イスラエルからのレビュワーの方から良い返事をもらったとの事をPさんから聞き、私もほっとした。またおそらくこの日に写真家のCさんと写真の説明について入念に練ったのであろう。その次の日見せてもらった説明文は大幅に変わり、自分の思い入れを良い意味で省いた誰にとっても興味を持ってもらえるような文章になっていた。

 

アルルを出発した翌日、Pさんの最後のレビューの日だった。この日は三つもレビューがあるハードな日であった。リヨンを離れ新しい勤務地へと向かう電車の中でもPさんのことは気にかかっていた。そんなしていると乗り換え駅に着いた時予定していた乗り換え電車がストでキャンセルになり振り替えの電車まで二時間半待つことになった。電車を待っている間、その日Pさんの通訳している友人のSから連絡をもらった。

 

電車待ちで時間があったので大幅に変わった説明文を訳すことを申し出た。やっと変更部分を訳し終えたのはレビューの20分前くらいだった。本当に直前だった。私としては役に立てなかった謝礼の分少しでも役に立てればという思いだった。

 

レビューが終わってすぐSから連絡があった。レビューがとてもうまく行った事。パリのギャラリーを二つも紹介してくれることになったことなどが書かれていた。Fくんのアイスを食べながらの嬉しそうな様子の動画がレビューの成功具合を表していた。そのレビュワーの方は以前Pさんとレビューの日程変更で急遽選んだ第三希望の人だったのだ。縁がきっとあったんだろう。


作品が良いものであるのはもちろんだが、それを売り込む説明も作品が認められるにあたって必要であるのだと思った。(もちろん様々な場合があると思うが)

 

私の訳が役になったかどうか分からないが、チームの一員として最後も参加出来たようで嬉しかった。久々にチームとして何かを成し遂げたような気持ちを共有させてもらい、これから希望している職場の面接へと向かう自分自身の励みにもなった。自分も後の面接を上手く乗り越え良い報告がしたいと思った。

 

面接の結果は以前書いたとおりである。

 

思えばSは前日のパーティで、(それ以降の更なるアルル滞在の延長にもつながる(アルルで家に泊めてくれるという人を見つけ、)、Pさんは最後の最後でレビューが上手くいき、チームみんなに良い風が吹いていたのだと思う。

 

アルルに来て一番面白かったのはレビューのお手伝いだったかもしれない。


今回の経験は私自身のレビュー(論文発表)にも生きる所が多々あったと思う。こんな機会をくれたPさんとSに感謝したい。

 

 

 

アサリのアヒージョ風

順番が変わるがアルルのレビューの話の続きを書きたいと思う。

 

今回通訳としてレビューのお手伝いをすることになったPさんとF君親子は普段鹿児島で写真館を営んでいる。今回レビューを受ける作品はPさんが撮った写真をF君が編集したものだ。昔新聞社のカメラマンだったという口下手な職人気質のPさんと、そんなPさんに歯切れ良い言葉でダメだしする芸術家肌のF君は、普段私たちが親子制作と聞くと子が父の弟子であるような関係を想像してしまうが、そんなイメージとは異なるお互いを補完しあうような素敵な関係だと思った。

 

今回私が通訳する事になったのは偶然だった。もともとフランス在住6年という日本人の方に通訳を頼む予定だったが、その人が都合が悪く来ることが出来なくなり、急遽私が代打することになったのだ。ただ私の英語力はそんな流暢に日本語を訳せるというレベルではないため、本当に私でよいのかという思いがあった。大学では英語で発表することはある。しかしそれは事前に原稿を作成し、発表練習を何度も繰り返し頭に英文を刷り込んでからいつもやっていたので、私が本当にレビューの通訳が出来るのか心配だった。しかもレビューは時間が20分と限られている。私が通訳に手間取ればそれだけPさんとF君の伝える時間、レビュアーの方が話す時間が減ることになるのだ。また欲深い私は、出来るだけ二人の話のニュアンスを伝えたかった。緊張はなかったが、力んではいた。

 

そして、私は事前に言い訳を作っていた。「私はレビュー中に伝えたい内容を考えて話すまで頭が回らないと思います。二人が話したことをそのまま伝えることに注力します」と今思えばもっと出来たのではないかと反省している。

 

最初のレビューはアメリカ人の綺麗な人だった。とても愛嬌のある優しそうな人だった。最初はおとうさんのPさんが中心になって説明した。訳していて思ったが、説明が単調であまり面白くないのではないか、メインで伝えたいことは別の事ではなかったかと頭によぎったが訳に集中する。おそらく同じことを考えていたであろう同席していた友人の写真家Sさんが私に「もっと○○の話をした方がいい」(事前の打ち合わせで○○の話をしようと決めていた)と私に伝えてきた。

 

私はというと「私に言わず、説明を話すPさんに言ってください」と言ってしまったのだ。今思うとSさんにそんな返事を返すのなら私がすぐ横にいるPさんに言えば早いのだが、通訳で一杯いっぱいだったのだ。人間そういうときこそ本性が出るものである。今思い出してもあんな反応をしてしまって恥ずかしい(笑)

 

訳していて思うのだが、相手の話を聞いてるときはその言葉を脳内で訳すことは出来るのだが、日本語に訳して話す段になると先ほど訳していた内容の枝葉末節の部分は頭から抜け落ち「つまりこういうこと」的な自分自身が相手の話を理解するために頭に残した主要な部分しかPさんに伝えることしか出来なかった。レビュワーの方の言葉をそのまま正確に訳出来れば良かったのだが、それが全くできなかった。

 

そのあとPさんに代わりF君が説明をした。気が付くと席を立ちあがって説明していた。レビュー時間の20分はアッという間に過ぎていた。

 

成果としてはレビュワーの方からポジティブな感想とアドバイスをいただき、今後継続して作品をメールで送らせてもらう事を承諾してもらえた。表面的にはうまく行ったようだが、すれば全て社交辞令にも思えた。レビューが初めての私はそこで判断は出来なかったが、そのあとのカフェでの反省会のみんなの反応を見て、やはり芳しい結果ではなかったことを察した。

 

レビューで話す時に必要なことは研究の口頭発表と同じである。伝えたいことを簡潔に論理の一貫性をもって話すこと、今回のテーマと関係ないことは話さない事(それが個人的に思い入れのあるものであったとしても)などである。しかし私自身インドネシアの湿地で研究しているので、屋久島の山奥に言って写真を撮ってきたというPさんが関係ない話をしてしまうことに私はとても共感したのだった。

 

翌日もレビューを受けたが結果はなかなか芳しくなかった。レビュワーの方の話の区切りが長く、ペースが早いので昨日以上に要約的な通訳しか出来なくなっていた。力不足を感じた。二日目のレビュワーの方とはPさんが偶然にも電車で会ったことがあるらしくその時の作品を見せ説明を簡単にしたらしい。しかし今回はそれが裏目に出たようだった。前回と重複する説明に途中飽きているように見えたのだった。

 

 

大人ポリタン

リヨンではフレンチのレストランの皿洗いをしていた。

一緒に働くのはスーシェフがアルゼンチン人であるのを除きみんなフランス人だった。

働き辛いと思いきや、とても気持ちよく楽しく働けた。

 

私が働いたレストランでは、まず着くと賄をみんなで食べることから始まる。「Bon soir」と言いながら入ると「Bon soir, ça va?」と誰かが言ってくれる。私はよく「ça va bien」と言って席に着き賄を食べる。スーシェフは陽気な人で賄を食べた後はお決まりの2週間おき毎ぐらいに変わる歌を口ずさみながらその日の予約分のアミューズを準備する。サービスの女性は賄を食べた後、席に座って恭しく煙草を一本手で巻き、外で吸う。サービス長はTシャツ短パン姿からしわのないシャツとジャケット姿へと雑談しながら着替える。シェフはというと大概外で空気を吸うかスマホを見ている。私は白シャツに着替えエプロンを着けると水を一杯飲み乾し、たまった洗い物を消化し始める。みんな何かしらのルーティーンのようなものを持っている。

 

サービスの人は基本陽気だ。下げたお皿を洗い場に渡す時、「〇〇~」と私の名前を呼んだり、ウインクをしたり、時には猫の声真似をする。暇なときはフレンチジョークを教えてくれる(大概理解できないので英語で解説してもらうが)皿を洗うだけで「Merci」と言ってくれる。お客さんの前で笑顔は基本だが、彼らは裏側に来ても基本変わらない。むしろ表より明るい気がする。

 

私は料理人の無駄のない動きを見るのが好きだ。皿を洗いながらよく見入っていた。時々ソースを味見させてくれたり、つまみ食いさせてくれた。忙しい時にピリピリはするが決して理不尽なことで怒るようなことはなかった。というより「こうした方がいい」というアドバイスはあっても、働いた一か月と少しの間、怒られたことはなかったと思う。

 

皿洗いの僕はサービスやキッチンの補助役的なことをしたり、時間があればキッチンの一角の掃除をする。私としてはお給料を頂いてるし、頼まれたことは当然のこととして行うのだが、終わったり、物を渡したりそれだけで「Merci」と言ってくれた。丁寧に掃除をすると「トレビアン」と言ってくれた。少しこそばゆい気持ちになったりした。

 

メインを出し終えるとシェフがノートに何やら書き込んだ後先に帰る。帰るときは必ず全員の所にいき握手をする。お互いに「à demain」や「Bon weekend」と言う。デザートを出し終えたスーシェフも同様に、ただスーシェフは肩をたたいてからの握手が多かった。日本でやるとセクハラになるのかどうか知らないが、握手したり肩をぽんってたたかれるのが私は好きだった。仕事が一段落したようなそんな安心感があった。

 

それから片付けを終えると片付けと明日のテーブルセットをするサービス長の二人だけに良くなった。最初は忙しい金曜と土曜、いつのまにか毎日仕事終わりに一杯飲ませてもらうようになった。

 

 

私はいつも白ワインをオーダーした。サービス長は勉強のためにいつも違うワインを飲ませてくれた。サンセール、クローズドエルミタージュ、サンジョセフ、ブルゴーニュ、ピュイフュメ、サンペレイ、ピュイフュイッセなど同じ産地で生産者違いなど二種類飲み比べさせてくれる日もあった

 

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私はそれが嬉しくて、少しでも勉強になったことを伝えたいのもあって、いつもワインの感想とこのワインにはメニューのこれが合うだろうかという事をサービス長に聞いたりしていた。ワインについて勉強する機会をくれていた。

 

私が働いた所がたまたまそうだったのか分からないが、人として敬意を払ってくれるそんな職場だったと思う。一番印象的だったのは相手がミス(私の作業に差し障る、もしくは作業を増やす)した時に「ごめん、私のミスだ」と言ってくれたことだ。私が一番下っ端なのでそんなこと言わなくてもよい気がしたのだが、でも自分のミスをちゃんと認めて謝る職場の人達に私はますます敬意を持つようになった。


この職場で働く最後の日、「リヨンに戻って来たら食べに来なよ。ただし、料金は2倍だけどね笑」とシェフ。一番仲の良かったスーシェフは「頼んだ事は全部きっちり、綺麗にやってくれた、中々誰にでも出来ることではない、ありがとう」と


書いてて気恥ずかしいが、社交辞令でもいい、最後にこう言ってもらえた事が嬉しかった。

 

日本では今、働き方改革ワークライフバランス、育休制度、などという言葉をよく聞く。もちろんシステム的な改革は必要だと思うが、フランス人の?その職場の?そういった人として敬意をもってお互いに接する事が働きやすさの基本ではないかと思う。

 

私もいつか日本で集団の中で仕事をすることがあるだろう。

その時に相手がだれにせよ「ありがとう」と「ごめん」が言えるそんな人になりたいと思った。

 

ケフタとメロンのアイス

夜のカフェテラス」といえばゴッホの有名な絵を思い浮かべる人が多いだろう。

私もそのゴッホの有名な絵が好きな一人である。その絵のモデルとなったカフェはアルルという南仏の小さな町にある。

 

去年の卒業旅行でヨーロッパを訪れた時に、アルルを訪れた。3月にも関わらず南仏らしい暖かい気候が印象的だった。ただ、お目当てのカフェテラスはオフシーズンで開いていなかった。カフェテラスを見れなかったことは残念だが、しばらく行くことはないだろうと思っていた。

 

しかし1年と4カ月経たぬうちに、私は夜のカフェテラスを見る機会を得ることになったのだ。

 

 

リヨンで知り合った写真家の人がアルル国際写真祭で日仏チームのギャラリーに出展するという事で私も見学とお手伝いに行ったのだ。オリーブ農園に宿泊できるという素敵なオマケまでついていた。

 

私の仕事はギャラリーの掃除とギャラリーに併設しているレストランのお手伝い(その代わり賄をいただける)とひょんなことで鹿児島から来た写真家の人のレビュー(詳しくは後述)の通訳の手伝いをした。

 

今回の写真祭に参加して思ったのは学会発表とどこか似ているという事だった。学会の場合はポスター発表と口頭発表の二つの形式がある。写真祭のギャラリー展示がポスター発表、口頭発表がレビューと似ていると感じた。

 

ギャラリーがオープンし、お客さんがどんどん入ってくる。写真家の方達が自分の作品について説明している姿がとても輝いていた。自分の作品を見てくれる、興味を持ってくれることの嬉しさは少し自分も分かるような気がした。

 

また写真祭の場合はそこに写真の販売というお金も関わってくる。またギャラリストや写真に関わるいろんな人と今後の関係を築くという、ただ単に発表の場ではないそういう勝負の場でもあると感じた。(学会にもそういう面はある)

 

私の友人の写真家の人はギャラリー展示の中のスライドショーの制作を担当していた。ギャラリーの代表者がそれを確認すると画質が悪いとか、なんとかで作り直すように言っていた。それまでの温厚そうな顔とは違う顔だった。正直私には問題など全くないように見えていた。

 

大学に入り、ゼミでの発表スライドやアルバイトでサービスをするようになって知ったのは普段何気なく自分が見ていたもの、受けているサービスが実はとても練られ、時間がかけられているという事だ。ここにもそれを感じた。

 

写真展や美術館にたまに行くが、そこに展示されている物に対して当然のようにそこにあるものだと思っていた。しかし、作品がそこに展示されるまでの制作への努力、苦労、作品の売り込み、その他まだ私が知らない多くの苦労を経てそこにあるものだという事を考えさせられた。友人の作品が展示されていることも、写真祭に来るまで深く考えていなかったが、ギャラリーに来たお客さんに説明する姿を見るにつけ、大変な事だったんだなと思った。

 

 

また今回は前で書いたレビューの通訳の仕事をさせてもらった。興味深かったのは事前に作品に込められた思いや作品の出来た経緯を作家の人とじっくり話したことだった。普段写真を見る時にそこまで作品の込めたメッセージなどを考えていなかったが、一つの作品についてじっくりと作家の人から話を聞けたことは貴重なことであったと思う。

 

その話の中で最近は自己のバイアスを除いた写真が出てきているという話を聞いた。私にとって写真とはむしろ自分のフィルターを通して見えている世界を表現するものだと思っていた(素人観)。また作家のフィルターを通して撮られた、自分自身では気付かない普段の生活の一部を切り取ったような写真が好きなので、そのような潮流に一種の拒否感のようなものを感じてしまった。

 

ともあれ、そのようなことを意識して写真を見たことのなかった私はそのような自己のバイアスを排除したと思われる作品を自分が今まで見たのかどうかさえ分からなかった。ちゃんと見てもいないうちに食わず嫌いは良くない、そのような作品を見て自分がどのように感じるのか興味があった。

 

そのあと写真祭を見て回ったが、バイアスがある作品とない作品がどれがどれか分からなかったことはこのブログ以外では秘密にしておこう(笑)

 

ともあれ物の見方をいくつも得ることが出来た、そんな写真祭だった。

 

アルルにいる間に夜の"夜のカフェテラス”を見たいと思っていたが、そうこうしているうちにまた見逃してしまった。これはきっとまた「またアルルに来い」っていう事なんだと思う。

たぶんまた蝉が鳴くころに気付けばアルルに来ていそうである。

 

 

 

 

 

 

 

生ハムメロンと白ワイン

ロワール地方のとある村のホテルで、併設のレストラン、ビストロ、バーでのサービスの仕事に就くことが出来た。契約書を交わす、念願のフルタイムの仕事である。

 

決まってとても嬉しいと思いきや、いやもちろん嬉しいのだが、すらすらと話が進み、決まってしまったことに対する驚きというか、きょとんとしてしまった。

 

フランスへはサービスの仕事をしたくて来た、フランス語は全然話せないものの何とか見つかるだろうという、いつもの楽観主義を発揮して簡単に考えていた。でも現実は上手くはいかなかった。

 

リヨンで生活をし始めて、二週間と少しが経った頃から仕事を探し始めた。日々日本で貯めた貯金が減る一方であることが不安で、外食にも行けなかった。その状況を変えたかったのが大きかった。そこでずっと働くというかフルタイムのサービスの仕事が見つかるまで生活費の一部を稼ごうと思ったのだ。語学が不十分であることを自覚していたのでレストランでのサービスは無理だと考え、語学が不安でも働けると聞いたバー、カフェを中心に探した。事前に調べて雰囲気の良さそうなワインバーから回った。

 

最初に履歴書を持って行ったのはベルクール広場近くのワインバーであった。緊張してお店の前を二回ほど素通りし、遠くからお店を見つめる。ひるむ自分自身を日本語で勇気づけ夜の営業前でリラックスしている定員さんに話しかけた。

店員さんは最初お客だと思い、笑顔で話しかけてくれる。しかし思いがけず私の口からお店で働きたいという事を聞き、驚いたのだろうか、呆れたのだろうか。顔が一瞬曇る。相手の表情にひるんだが、片言のフランス語で日本でのサービスの経験と仕事への意欲を伝えた。定員さんは申し訳なさそうにそして諭すように

 

「もううちにはソムリエがいるからごめんね」と言った。

 

私は「D'accord, Merci 」としか言えなかった。独り言で自分を慰め、次のお店にいく、次はジャズバーに行った。またお客だと思われる。相手が英語で話しかけてきたので、そのまま英語で働きたい意思を伝える。相手が親日家だったこともあり、話が少し弾んだ。しかし「フランス語が出来ないとサービスはできない」と言われた。ただ忙しいときに呼ぶかもしれないという事になり、とりあえずオーナーに見せるからという事で履歴書を渡す。後日連絡をするからということで、嬉しくなった。

 

その日はビールを買い、プチ贅沢をした。ダメにせよ、いいにせよ連絡が来ると思っていた。それだけで何か一旦成し遂げたような気がした。

 

しかし1週間が経っても連絡はなかった。おそらくこれからも連絡はないことは何となく察した。それからというもの実際にお店に履歴書をもって回る事20軒ほど、求人サイトからメールを出すこと30軒ほど。反応はほとんどなく、直接渡したCVはもはやオーナーに渡してもらえたのかどうか分からない。運よく履歴書を受け取ってくれてもそのあと連絡がないことに慣れていった。求人サイト経由で送ったメールにはお祈りメールが一件、面接の日程の話まで行ったのは二件でうち一件は面談までいったものの語学力不足で断られ、もう一件は途中でメールの返信が来なくなった。求人があるにも関わらず、返事がないことに少し落ち込んだ。しかしこれがフランス語の出来ない者への当然の結果だったのだと思う。

 

結局リヨンでは最終的に、表に「皿洗い、調理補助募集」と書かれた日本食店の調理場として働く事になった。とりあえずお金がもらえることは嬉しかったが、元々サービスとして働きたかった事を思い出し、楽に流されたようで、甘んじているようで恥ずかしかった。

 

求人サイト経由でメールするなどと並行して働いた。その後、系列店の和のテイストを取りいれたフレンチのお店で皿洗いとして働く事になった。これに対してはまた別の機会に書きたいと思う。フレンチであること、フランス人ばかりの職場で少し嬉しかった。

 

と、リヨンでのことを思い出しきょとんとしていたのだ

 

私が働く事が出来たのには実はカラクリがある。村に在住の日本人の方に紹介してもらったのだ。私が日本で働いていたお店のソムリエの方が知り合いのワインのインポーターに頼んでくれ、インポーターの方にその方を紹介してもらったのだ。もし仮に今回雇ってくれるホテルに私が直接履歴書を持って行ったなら結果は違ったのかもしれない。人の紹介とは本当に有難いものである。

 

今回仕事を得れたことは私の実力ではないが、強いて言うならばいろんな方を紹介もらい、その方たちと知り合えたという縁が大きかったのではないかと思う。

 

まだ仕事を得れただけで、本番はこれからである。フランスに来た目的であるサービスの向上、ワインの知識、経験を増やすこと、フランス語の上達などやるべきことはたくさんある。今回の幸運は最後まで上手くいってこそのものである。また紹介してくれた人の顔に泥を塗るような事は絶対にしてはいけない。改めて、ここからが始まりである。

 

そしていつか、自分と同じような人の力になりたいと思う。

自分自身が繋げてもらった縁をまた誰かの縁に繋げたい。