ワイン好きな象と猫

フランス生活の忘備録

ケバブとフリット

だいぶ投稿の間隔が空いてしまった。どこから書こうか、書きたい事があれもこれもとあってまとまらない。


手始めにまずは今日、今書きたいと思った事を書こうと思う。


今パリにいる。バイヨンヌへ行く夜行バスをかれこれ三時間程待っている。あと1時間半待たねばならない。


駅の構内で無料のWifiと電源を貪りなんとか耐えていた。


駅の構内は風通りがよく、寒いまでないが暖まりもしない。どんどん体が寒くなっていった。


こういう時は貧乏旅行の味方であるケバブでも食べて暖まろうと、Bercy駅近くのケバブ屋を探し、向かった。


フリットケバブで5.5€。フリットはもちろん山盛りだ。


店員のおじさんの接客がやけに気持ちが良かった。といっても注文をとって、ケバブを渡してくれて、会計をしてくれただけである。何か気の利いた事をしてくれた訳ではない。


それは気遣いというものではないし、おもてなしでもない。たぶん一対一の人としての敬意だと思う。


このケバブ屋さんのおじさんに限らず、フランスに来て、日本にはない気持ち良さを感じる時がある。(正確には日本よりそう感じる頻度が多いら)


日本の接客の方が丁寧だし、接客態度に関して従業員への教育も日本の方が力が入ってるような印象があるにも関わらずだ。


多くの人がおそらく考えているように、日本の丁寧な接客は相手を〝お客様〟として敬意を払っていると私は思う。それに対しフランスやその他の国は〝人〟として敬意を払っていると思う。敬意の丁度からいけば日本の接客が顧客に対して払う敬意の方が大きいと思う。


しかし日本の接客のその敬意は意識させられたものであって、うちから自発的に生じたものではない場合が多いのではないかと思う。要は接客の丁寧さは作り物である事が多いのではないかと思う。


それに比べて、フランスやその他の国ははたとえ敬意の程度は高くなくともそれが内からあるもので、その敬意の払い方は自然で違和感がないのだ。それは文化に寄るところが大きいのではないかと思う。


フランスの一般的なサービスは顧客を〝お客様〟などとは思っていない事が多いのではないかと思う。彼らの敬意は日本で言うところの近所のおじさん、おばさん、お姉さん、お兄さんへの敬意くらいな感じではないかと思う(一流レストラン、ホテル除く)。日本のようにサービスを受ける、提供するという立場の違いからではなくて、自分が近所の人から挨拶し、挨拶されるような対等な敬意だと思う。


私はフランスの文化でお客もサービスもお互いに「Monsieur ,Madame 」と呼び合うのが好きだ。


サービスを受ける側も、される側もMonsieur でありMadame なのだ。


最近「おもてなし」という言葉をよく聞く。日本独特の他にはない素晴らしい接客姿勢のように話されている事が多いと思う。


確かに一部にはそうであるのかもしれないが、日本にあまり多くない「一個人として向けられる敬意」による接客もまた良いものであり、おもてなしばかりを語るのでなく、そういう日本にない感覚もこれから語っていくような社会がいいのではないかと思う。